草にも花が咲く 月にもなぞがある

日頃思いついたことなど、つらつらつづっていきます

AI(人工知能のほうの。どーでもいいけど、アーティストのAIと区別つくのを誰か考えて欲しい、紛らわしい)

 さて、今話題の“対話型AI”。ほんとは2か月前のスタンフォード大が発表した、「迎合するAIを使い続けるのは良くない」という研究発表。まぁ、サンプル人数も質問も何万もあるらしいから、それなりの結果なんだろう。とはいえ、わざわざそんなに大袈裟に言われなくても、ちょっと使えばそのくらいの事はわかる。欧米人はわからないのだろうか?

 日本には「忖度」があったり、「本音と建前の文化」があったり、某関西の府においては「言葉の裏を読む」のが昔から当たり前になっているせいか、日本人ならあんなこそばゆい事を言われても、そのまま鵜呑みにしない。

 個人的な印象としては、‘あれ’は未就学児か小学校低学年の子供が、回りの大人の口ぶりや使う言葉を真似て話すから驚いてしまう、あの感じに似ている。しかし、飽くまで、入力された情報やネットで検索可能な情報を集積したビッグデータにアクセスして、疑似人格的に回答するプログラムに過ぎない。

 確かに、検索する手間は少し省けるが、あくまでそのあと、自身で複数の出典にアクセスして確認する必要がある。例えるなら、図書館で書籍を検索、または索引から探すのに似ている。よって、あれは入口に過ぎない。

 ある程度世間の事を知っていて、社会の荒波に揉まれた経験のあるものなら気づくが、真偽や正確さ・厳密さの判断は難しいかも。子供には使わせない方が良いと思う…、と、書いていた矢先に、あの阿部慎之助前監督の事案が起きた。あの娘さんが「調べた」ところ迄は良かったのだろう。多分、その後の大人達への「伝え方」とその「ワード」のニュアンスが事を大きくしてしまったのだろう。ま、これを機にあの‘AI’が未完成で万能でもないと知るべきかと。そんなものを世界中にばらまいて使わせる「やり方」や、金儲けする事には、何らかの制限なり、法整備・条例が必要かと思われる。但し、これはあくまで‘あのAI’についてであって、利用する分野が限定的な「特化型」については、その限りではない。